『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北 康利 (著)
出版社: 講談社 (2007/3/30) ISBN-10: 4062138840

目次

第一章 門閥制度は親の敵でござる
第二章 「自由」との出会い
第三章 「私」の中の「公」
第四章 『学問のすすめ』
第五章 ベンチャー起業家として
第六章 かくて「独立自尊」の旗は翻った

『 病気をしたのは諭吉だけではない。五人の子供たちがとっかえひっかえ病気だ怪我だといってはお順を悩ませた。
だが厳しい年月は、彼女を逆境に負けない強靭な精神の持ち主へと成長させていく。自分の生活だけでも
精一杯であったろうに、お順はいつも傍らに一升か五合ほどの米をおいておき、托鉢や乞食などが門の前に立つと、
忙しい時でも施しをしたという。
子供は親の後ろ姿を見て育つ。父・百助もまた、ある意味、お順以上の影響を諭吉に与えていた。』

『 現代人から見れば大変な苦労をしてきたわけだが、すべては心の持ちようである。お順の言語に絶する苦労と、
それでも明るさを失わない姿を幼い頃から見続けてきただけに、
(母上の苦労に比べれば・・・・)
ということがいつも彼の念頭にある。そのため自然と不平不満を口にしなくなり、苦労を苦労と感じない魂の
強靭さが身についていった。・・』

『 この出会いが諭吉の人生を決定付けることになる。十学のの嫌がらせがなければ緒方洪庵との出会いはなかった
わけで、そうすれば後に日本の顔となる福沢諭吉という人物もおそらく誕生しなかったであろう。人間万事塞翁が馬。
何が幸いで何が不幸かは、後になってみないとわからないものである。・・』

『 洪庵は、諭吉のチフス羅漢が友人の看病で体力を失っていたためであることを知っていた。
帰郷も療養のためであることを知っていた。そして何より、諭吉の学問にかける情熱を誰よりもよく知っていた。
だからこそ、贔屓だという声のでかねない特別待遇を与えたのだ。終生、他人の世話になったと、後年しみじみ述懐し、
洪庵没後も遺族に対し感謝の意を表し続けた。』

『 世の成功者は、人並み外れた才能と努力のほかに、必ずと言っていいほどある種の幸運に恵まれている。
諭吉にもまた、そうした「ツキ」があった。なんと桂川甫周の亡き妻は木村摂津守の姉だったのだ。
早速甫周に紹介状を書いてもらい、勢い込んで木村の屋敷の門を叩いた。』

『 彼が米人に、
「ワシントン閣下のご子孫は今どうしておられますか?」
と尋ねたところ、その米人は、なぜそんな質問をするのかと不振そうな顔をしながら、
「確か娘がいたような気が・・・。よくは知りませんが、誰かの奥さんになっているでしょう」
と答えた(注:実際にワシントンに子供はいない)。
初代大統領のワシントンといえば日本の源頼朝か徳川家康に匹敵する人物だと思って質問した諭吉は、
その子孫の動向について、市民がさして関心を持っていないことに愕然とした。
(門閥というものがないのか・・・)
「下士の子は下士」という現実の前に苦渋をなめさせられてきた彼の前に、アメリカという国はまぶしい
ほどの輝きを放っていた。』

★365ページという大作で、しかも、読んで面白いというこで、
正直、3分の一くらいしか、読めていません。

ただ、非常な逆境に育てられ、
江戸末期の身分制度に憤りを感じて、自由平等な社会に憧れ、
メンターというべき、生涯の師であり、恩人と出会い、
米国へ外遊(?)という非常な幸運に恵まれたことで、
この、福沢諭吉という人が世に出てきたことがわかりました。

日本の
明治時代は、本当に面白いですね。
「坂の上の雲」も良かったですが、
「竜馬が行く」とか、読み返してみたいとも思いました。

本日は、この辺で。

投稿者 himico-blog