ドナルド・カッツ(著)『ジャスト・ドゥ・イット―ナイキ物語』
早川書房 ; ISBN: 4152080183 ; (1996/07)
目次
プロローグ シカゴ
バルセロナ
ビーバートン
アトランタ
大韓民国、釜山
カンザスシティ
ニューアーク
ノースカロライナ州デュープリン郡
『英雄的な選手を崇拝するスポーツ・ファンはいても、スポーツ用品を崇拝するファンは
いない。だが偉大な運動選手が求める偉大なスポーツ用品は、ファンと言えるような
顧客を生むだろう、とナイトは判断した。「誰も商品自体を応援したりしない」と
ナイトは言う。商品には、何か心を引く深遠なものとのつながりが必要なのだ。』
『〈ジョーダンの飛翔〉と題されたコマーシャルは1985年中繰り返し放映され、そのあいだ
にマイケル・ジョーダンは”空飛ぶナイキ・ガイ””エア・ジョーダン”として有名に
なった。ほぼ同時に、全米でナイキのバスケットボールシューズ〈エア・ジョーダン〉が
爆発的に売れはじめた。長蛇の列、買いだめ、高いプレミアム、街頭の中古市場での
取引、品不足による客の深い失望、さし迫った国家規模の災害か戦争に触発されたかのよう
な購買パニック─がそこら中に見られた』
『「フィルとナイキがやったのは、わたしを夢の対象にすることだった」ジョーダンは
引退の四ヶ月前、感慨をこめて言った。』
『オリンピックの三ヶ月前、《ハーバード・ビジネス・レビュー》誌の記者がフィル・ナイトに
インタビューして、なぜこれほどの多くのスポーツ選手を使って事業活動を展開しようと
するのか、ときいた。
「時間をずいぶん節約できるからだ」ナイトは答えた。
「60秒のコマーシャルで言えることは限られているが、マイケル・ジョーダンを出せば、
なにも言わなくてすむ」
ナイキの事業活動の多くは、特定のスポーツ選手を盛り立てることを目的としていた』
『土手の内側はナイキの世界で、そこではほとんど誰もが健康で、喫煙は一切認めらず、
車ではなく自転車やインライン・スケートで通勤する社員には会社が手当てを支給し、
昼食時に二時間、ボー・ジャクソン・フィットネス・センターでトレーニングをしても
いっこうに差し支えない。各部門の全社員が夜九時まで仕事をして、会社の目的達成の
ために、施設使用料以上の貢献をしているからだ』
『ナイキ社員はキャンパス内で散髪をしたり、洗濯したり、マッサージや健康測定を
受けたり、自社製品を買ったりすることができる。また、売店には、仕事が忙しくて
満足に合えない配偶者や子供が喜びそうな品物がそろっている。社員の子供たちを
乗せた車が走り抜けていく。行き先はジョー・パターノ保育所で、そこでは進歩的な
自由活動プログラムが組まれている。』
『彼はナイキの企業規模に関するさまざまな考えと日々格闘しているようにみえた。
「会社が大きくなると、起業家としての本能を抑えなけばならなくなる」
1993年初め、ナイトは自信なげに言った。
「だが、情熱の火を消すことがあってはならない」』
★ナイキの創業者である、フィル・ナイトは、本田のNSXに乗り、眠気と戦うために、
スピードを出して、良くつかまるそうです。
また、コンピュータを使えないため、事務所のあちこちにマックのノートブックが
置いてあり、メールを出したい時は、
その1台を使って、文書を作ると、そのまま秘書のところまで、抱えて行き、
あとは、秘書に委ねるそうです。
日本人のいろんな起業家の本を読みましたが、
このフィル・ナイト氏も、かなりの変わり者です。
スコット・ベドベリ氏のつながりと、フィル・ナイト氏に興味を持って読みました。
既にちょっと古い本ですが、でも面白いです。
一人で昼飯を食っているようなヤツが、起業家に向いている、
という表現は、ちょっとユニークだと思いました。
本日は、この辺で。