『旅籠屋孤軍奮闘中! 』甲斐 真(著)
出版社: 創英社 (2007/09) ISBN-10: 4881421794
目次
第一章 「ベンチャー日記」
第二章 「旅籠屋日記」
第三章 「旅籠屋」誕生以前
『 ずいぶん前から人生の残り時間を意識するようになった。最近は頻繁に考える。どんなに
強く望んでもJリーガーにはなれない。GPライダーにもなれない。ロックスターにもなれない。
いろんな可能性が消えている。残った時間で、どれだけのことが出来るのか。
斎場に行く機会が増え、自分の死についても考える。ワクワクするような新しいこと、
楽しいことが生まれ、世の中がどう変わっていくのか、ずっと見ていたいけど、どこかで
私の時間はプツッと終わってしまう。
かといって、悲観しているわけでも、過去を悔いているわけでもない。「若さ」の素晴らし
さを知っている今の分別を持ったままハタチの頃に戻れればと夢想することはあるけれど、
悩みと不安と孤独で押しつぶされそうだった時代を生き直したいとは思わない。時に周囲を
傷つけながら、甘えながら、わがままに生きてきた。タラレバを言ったらバチが当たる。
このように、とりあえず今、ようやく今、心乱れ歯噛みすることなく自分の「半生」を
想い返すことができる。が、それは幸運や皆さんのおかげばかりじゃない。一生懸命前向きに
やってきたこと、ある程度は自分を信用できる、そこが分かれ道だ。』
◆”ベンチャー経営者”に必要なこと
『 同じ経営者でも、サラリーマン社長と「ベンチャー経営者」では求められる役割や資質が
違うように思う。歴史のある大会社には良くも悪くも既存のシステムや過去からの蓄積があり、
極論すれば誰が社長になってもクルージングできるが、ベンチャー企業は社長の体調ひとつで
墜落したりもする。機長や操縦士であると同時にエンジンそのものだからである。寄せ集めの
材料で作った機体に乗り込み、あっちへ行け~とばかりに蛮勇をふるって飛び立ったものの、
航路図もなく誘導してくれる管制官もいない。振り返れば心配顔の乗務員が増えていて機体は
重くなり、燃料も底をついてくる。蛇行が始まっているが、フラップの操作もおぼつかない。
設計ミスかもしれない。もちろん着陸の方法も知らず、今更どうしようもない。そうこうする
うちに厚い雲の中に突っ込んで目的の方角も見失い、もはや、オーバーワークのエンジンが
焼き付かないことを祈るばかり。
エンジンが回り続けるには燃料と点火のための熱が欠かせない。燃料とは「お金」、熱とは
「情熱や意欲」である。そして、機長や操縦士に必要なことは行く先を見定める「目的意識と
方向感覚」、地図を読みマシンを操る「知識や経験」である。「ベンチャー経営者」には、
これらすべてが求められるように思う。』
◆ベンチャー企業の天敵は、先例主義、形式主義、減点主義
『 行政というものは、定められた法律や条例に従って作業を行うわけだが、それらは通常現実
の後追いであって新しい事象に対応していないから、機械的に規制を適用しようとすると新しい
ビジネスの芽を摘むことになる。私権を制限していることの自覚や、抑えつけるのではなく
誘導する姿勢を求めたいが、そういう人間は少ない。先例がないから規定に従うしかないと
重箱の隅をつついてがんじがらめにしてくる。保身のためにはトラブルや責任から逃れたい、
そのためには排除してしまう方がラク、というのが役人の習性のようだ。』
◆経営者個人の発言は公私混同か
◆事業はマネーゲームではない
『 当時は、ITベンチャーがもてはやされた時期、私が対面した人たちは大部分が30歳前後、
いかにも目端の聞く感じで、マネーゲームを楽しんでいるような感性と対応は正直言って
愉快なものではなかった。「もっとダイナミックな事業計画書に書き換えてもらえませんか」
と誘う人もいたが、それは事業家に良心を売り渡せと言っているようなものではないか。』
◆社長を見た目で判断してはいけない
『 会社勤めをしていた頃、トップがアホに見えたことがある。30歳前後のサラリーマンは
生意気盛り。毎日忙しく働いていると、会社を支えているのは自分たちで、年寄りの
役員連中は決断力も行動力もない「無能なお荷物」のように思えたりする。こんな不平不満を
感じたことのある人は少ないだろう。もちろん、その多くは一面的にしか物を見ていない
世間知らずの決め付けだったことに後になって気付いたのだが、ひとつだけ最近になって
得心したことがある。それは、会社の社長の仕事というものは、余人の目に映るものだけでは
ないということだ。
大なり小なり会社というものは組織で成り立っているから、社員は与えられた権限と責任の
範囲内で仕事をしている。何かトラブルがあっても、自分の範囲を超えなければ上司や経営者
に報告してその後の対応を委ねることができる。ところが、トップは最終権限者だから、
人のせいにはできない。問題のすべてをそこで引き受けなければならない。・・・』
◆たかが照明、されど照明
『 宿の客室の照明は明るいほうが良いかというテーマで議論したことがある。私は10年以上
住宅メーカーに勤めていたため、照明計画にはこだわりがある。それに従い、旅籠屋の照明は
原則としてすべて白熱電球色に統一、客室内の照明も部分照明だけにしているのだが、たまに
客室の照明が暗いという指摘を受けることがある。明るいほうが良い、という意見には大別し
てふたつの理由がある。
第一は、部屋の中で手紙を書いたり、荷物の整理をしたりする時、十分な照度が必要という
もの。これは照明の持つ基本的な機能であり、軽視することはもちろんできない。しかし、
ここで忘れてならないのは、明るさが必要だからといって部屋中を照らす必要はないという
ことではないかということだ。必要な場所に必要な量と質の照明が確保されていればよいので
あり、部分照明でよいのではないかと思う。
もうひとつの理由、それは心理的な問題。これは多くの日本人が慣れきってしまっている
住宅の照明との違和感に由来する。部屋が薄暗いとなんとなく落ち着かず、不安になるという
指摘だ。かつて書き連ねたことを以下に転記する。
・・・この感じ、よくわかります。部屋全体が暗いと閉所恐怖症ではありませんが、なんと
なく圧迫感を感じます。』
◆アメリカMOTEL視察
『 12年前、初めてMOTELを泊まり歩いた時に受けたカルチャーショックを今でも覚えている。
サービス業というイメージからかけ離れた、素っ気無い宿。1室20ドルというクラスになる
と建物も部屋も、そして人間もけっして上等とは言えず、なんとなくわびしい印象を受けた
ものだ。ところが、慣れてくると、あえて飾ろうとしない、こちらのご機嫌をとろうとしない
開き直りが快く感じられるようになった。より高給に、よりゴージャスに見せようという
「みせかけ」を追わないだけ、ウソがない。設備が劣り、建物が古びていれば、それなりに
料金を安く設定する。かといって、卑屈になっている風でもない。「俺のところは、こんな
だけど、まぁ見かけほど悪かないよ。ちゃんと快適に眠れるし、シャワーだって部屋について
いるぜ。何より安いのがサービスだろ」って胸を張ってる。なんだが正直で潔い。こっちも
割り切って泊るから余計な期待をしない。高級志向のホテルと違って、「どうだ、凄いだろう」
という押し付けがましい威圧感が微塵もないから、やけに気楽な気分になってくる。』
★私も、学生時代、アメリカを旅したとき、
モーテルの気楽さと、値段の安さ、その普及に、感動し、
日本にも、こんな宿泊施設があったら、良いのになと思いました。
それを、成し遂げたのが、この「旅籠屋」の甲斐社長です。
一度、ぜひ、泊まってみたいです。
ベンチャー、起業を目指す方に、お勧めです。
こちらの、記事は、笑えました。
本日は、この辺で。