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毎日が自分との戦い―私の実践経営論』金川 千尋(著)

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『毎日が自分との戦い―私の実践経営論』金川 千尋(著)
出版社: 日本経済新聞出版社 (2007/07) ISBN-10: 4532313384

目次

 第1章 六高での三年間──私の原点
 第2章 失敗した実体験があればこそ
 第3章 市場開拓に世界中を飛び回る
 第4章 反発押し切り大鉈振るう──国内事業の再建
 第5章 経営者としての戦い
 第6章 道は自ら開け──私の経営観

◆仲間と深夜まで議論

 『 旧制六高の寮生活にはプライバシーどころか、私有財産の概念すらないように見えた。誰かの実家が食べ物を
  送ってきても、本人がそれを受け取る前に同居人の胃袋に消えてしまう。だが、慣れると開けっぴろげな寮生活
  のよさがわかってきた。
   青春時代に文字どおり寝食をともにし、人生や哲学、スポーツについて語り合う友を得た喜びは何ものにも
  代えがたい。阿部次郎の「三太郎の日記」や倉田百三の「出家とその弟子」などは旧制高校生の必読書といわれ、
  誰もが読んでいた。哲学論争も盛んだった。私はニーチェが好きで、「ツァラトゥストラはかく語りき」の一部
  はいまでもドイツ語で覚えている。寮では深夜まで議論が続いた。』

◆敗戦による虚脱状態

 『 京城で終戦を迎えた私は岡山の六高に戻るため、引き揚げ船の順番を待っていた。日本に帰ったのは、1945年
  (昭和20年)の10月ごろだったと記憶している。
   この間、現地の人々から嫌がらせを受けた覚えはない。むしろ「あなたのお母さんにはお世話になった」と
  言っていろいろと便宜を図り、助けてくれる人が多かった。母の人徳と思う。日本人が仕返しを受けても
  おかしくない状況だったのだから。』

◆債権回収で全国行脚

◆つぶれた会社を裏側から見る

◆肺結核で療養生活

◆自業自得の苦い経験

 『 また、若いころは株式投資でも苦い思いをした。始めたのは入社した1950年(昭和25年)ごろだ。旧制六高
  柔道部の先輩で大和証券に入社した細井幸夫氏に基礎知識を教えてもらった。
   私は元来、勝負事が好きな性格だし、最初は儲かったので株にのめり込んでしまった。業種を問わず、値動きの
  大きい仕手株に手を出した。生活費には手をつけなかったが、月給の5~10倍はいつも株に投資していた。
   企業業績を絶えず研究し、また過去の値動きを示したケイ線の分析に熱中した。ケイ線は投資家の心理を
  反映するから、本を読んで定石を勉強した。
   4~5年勝ち続け、周囲からも「常勝将軍」などとおだてられた。自分でも才能があると思い込んでしまった。
  投資した銘柄数でいえば八割くらいは成功を収めただろう。ところが残りの二割で大負け。何年もかけて稼いだ
  おカネを1~2ヶ月で失い、結局は損をして終わった。信用取引では追い証を取られ、嫌な思いもした。当時の
  私には大ショックだった。これを契機に株には手を出さないと自らに誓った。
   いま、私が健康管理に細心の注意を払っているのは、不摂生で結核を患ったという反省があるから。また会社で
  株や不動産など本業以外の投資を絶対に認めないのも、株で失敗した実体験があればこそ。空理空論ではなく
  自分でひどい目にあったから、現在でも確信をもって実行している。』

◆根っからの勝負好き

 『 海外出張ではギャンブルの魔力に取りつかれた。飛行機の乗り換えで一泊したレバノン・ベイルートのカジノでは、
  タクシー代だけを残して全部スッてしまった。』

 『・・商社時代の株式投資といい、私は根っからの勝負好きらしい。ギャンブルは勝っているときの高揚感がたまら
  ず、何時間でも疲労を感じない。自分には才能があると酔いはじめる。だから途中でやめられない。だが、
  負けが込んでくると長時間の疲れが一度に噴き出し、立っているのも苦痛になってくる。
   身銭を切ってのギャンブルは会社の仕事にも役立ったと思う。投機のリスク、過信や慢心の怖さ、引きどきを
  見極める難しさなどを学ぶ反面教師になったからだ。』

◆「買収されるぞ」の言葉に発奮

 『 そのトラバー氏が私に「信越化学がモタモタしていると、ロビンテックに買収されるよ」と言ったことがある。
  冗談交じりの口調だったが、私はカチンと来た。そのとき「いまに見ていろ」と信越化学の発展を心に誓った。』

◆トップセールスで苦境をしのぐ

 『現在、シンテックの社員数は約230人だが、うち工場が約210人で営業担当は8人だけ。また借入金を87年に
  完済したので、専門の財務担当者はいない、金利が上昇しても直接打撃を受ける心配もなくなった。』

★他にも、財務部門に20人ほどの社員がいたので、部門長に二人でできないかと尋ねたこともある。
 さらに、自らが部長時代には、社長に対して「借金を全部返したら、われわれの給料は倍になりませんか」と
 言ったこともあるそうです。当時、給与の総額と、銀行に支払う利息が同じくらいだったようです。

 年表をみると平成18年で80歳です。
 ますますお若いというのか、
 これからの信越化学工業の発展に注目していきたいところです。

本日は、この辺で。

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