『藁のハンドル』ヘンリー・フォード(著)竹村 健一

書評

『藁のハンドル』ヘンリー・フォード(著)竹村 健一(訳)

出版社: 中央公論新社 (2002/03) ISBN-10: 4122039851

目次

第一章 サービス精神こそ大企業の基礎
第二章 物より人が大事である
第三章 余暇の想像こそ産業の使命
第四章 私の「新・国富論」

◆「資本・労働・大衆」という無意味な図式

『 世界の進歩は、これまで交通手段の便利さに正比例してきた。私たちは自動車によってこの国をつくりかえた。
しかし、私たちが繁栄しているから、自動車を持てたのではない。私たちは、自動車を持っているからこそ
繁栄しているのである。原因と結果を取り間違えてはならない。』

『 ついでに言うと、わが国の全般的な繁栄は、農作物の収穫高とは関係なく、自動車の所有台数に正比例している。
これは避けられないことである。というのは、こうした莫大な動力を一国に導入すれば、必然的に外のあらゆる
方面にその影響が及ぶようになるからである。
とりわけ自動車は、動力というものを一般の人々になじませた。つまり、動力がどういうものであるかを人々に
肌で実感させ、教えて広め、それまで人々が閉じこもっていた殻を破って、外へ連れ出す役目を果たし、外の世界の
面白さ、素晴らしさを味わわせたのである。』

◆最低賃金の引上げがフォード社を発展させた

『 わが社の真の発展は、1914年、最低賃金を一日ニドル余りから五ドルに引き上げたときに始まる。なぜなら、
その結果、私たちは自社の従業員の購買力を高め、彼らがまた、その他の人々の購買力を高めるといったふうに、
その影響がアメリカ社会全般に波及していったからである。高賃金の支払いと低価格での販売とで購買力を
増大させるという、この考え方こそが、わが国の今日の繁栄を陰で支えているのである。
これが、わが社の基本的コンセプトである。私たちは、それを「賃金動機」と呼んでいる。』

◆生活を楽しむ時代の到来を目指して

『 これは、前近代的な企業の重要な要素の一つ、商品は、それを必要とする人の近くになければならない、
ということを表している。昔は、市場とは、必然的に生産地のことであった。たいがいの品物は町でつくられた。
あらゆる職業が郵便局を中心として発展していった。鍛冶屋はたいていの農機具をつくった。織屋は一般家庭では
つくれない布地をつくった。要するに、一つの町は自給自足の共同社会であるといってよかった。
しかしながら、自給自足の共同社会サービスは、すべてが最良で、価格も安いということにはならない。
たとえば、「農家製バター」ということ自体にはなんの意味もないと、どんな食料品店の経営者も言うだろう。
すべて、その農家の主婦が、どんなバターをつくるかにかかっている。えてして家庭で加工したバターの品質の
バラツキは激しく、とびきり上質なものとなったり、とびきり粗悪なものになったりするものである。
現代の酪農では、かなり上質で品質にムラのない製品がつくり出される。こうして、わが国が発展し、
地域社会間の交易手段が実用度を増し、ことに輸送機関が発達するにつれて、供給能力のすぐれた業者は、
当然のことながら、その販売区域を逐次拡大していった。
このようにして、ごく初期の大企業の多くは、東部で成長した。当時は、東部できわだって人口が増大しつつ
あったからである。』

◆利益がどれだけ消費者に還元されているか

『 産業の発展について銘記すべき点は、これまでさまざまな新しいアイディアが展開され続けてきたが、そうした
アイディアに対して代価を支払った人々とは、身銭と切って商品を買ってくれた人々であったという点である。
そうした人々が費用を支払ってくれなかったら、トラクターも、脱穀機、自動車も、機関車も、新しい産業上の
考案物は何一つ開発されなかったであろう。
旧弊な経営観、すなわち経営とは他人との駆引きに勝つことであるという考え方は、今では、そうした考え方を
今も実行している人にさえ、実際的だとは思われていない。アメリカ人が本来持っている経営観は、経済学と
社会道徳に基づいたものである。すなわち、すべての経済活動は自然法則の制約のもとにあり、また人間の活動
のうちで、他人の福祉にいちばん継続的な影響を及ぼすものは日常の経営活動である、という認識に立ったもの
である。私たちは、企業に対する公正を声高に求める必要はない。いつも大衆が企業を規制してきたのである。』

◆大企業とは、金に支配されない存在

『 以上のことは、お金と利潤が企業にとって必要ではないということではない。企業は利潤を得て経営しなければ
ならない。そうでないと、企業は滅びる。しかし企業をただ利潤のみを求めて運営し、社会へのサービスを
まったく考慮しない場合には、誰が運営しようとその企業はやはり滅びるにちがいない。なぜならこうした企業には、
もはや存在理由がないからである。
利潤動機(営利主義)は、合理的で現実に即したものと言われているけれども、本当はけっしてそうではない。
なぜなら、すでに説明したように、その目的には、消費者に対する価格の引上げと賃金の引き下げが含まれ、
そのため、自ら絶えず市場を狭め、ついには自らの首を絞めることになるからである。外国におけるやっかいな問題は、
大部分この考え方から説明できる。』

◆負債と人間の自由との関係

『 企業が乗り上げるもう一つの暗礁は負債である。負債は今日では一種の事業となっている。人をそそのかして
負債をつくらせることは、一種の事業なのである。また負債の持つ利点は、ほとんど一種の哲学になっている。
それは、ほとんどとはいわないまでも、おそらく多くの人々は、もし債務返済義務という圧力がなければ、
あまりがんばらないだろうという考え方である。しかし、もしそうだとしたら、彼らは自由人ではなく、
したがって自由な動機では働かなくなる。この負債動機は、基本的には奴隷の動機である。』

★「経営は科学である」という言葉を残したことでも有名です。
歴史の教科書には、ベルトコンベアーと流れ作業で、T型フォードを安く大量生産したことが書かれていたように
思います。

けれども、
フォード自身は、「最低賃金の引上げ」が、労働者自身が自分の作っている製品を購入することで、取引先や、そこで
働く人が購入することで、需要の裾野が広がったと述べています。
また、一国の発展は、自動車の数で決まるとも。
やはり、発想が突き抜けているというか、考え方が、トンガッテイマス。

本日は、この辺で。

編集後記

暑い日に、熱いものとばかりに、

昨日のお昼ご飯に、ラーメンを食べたら、

汗だくになりました。

今日は、

冷麺にしようかと思います。