『747 ジャンボをつくった男 』ジョー・サッター、ジェイ・スペンサー

書評

『747 ジャンボをつくった男 』ジョー・サッター、ジェイ・スペンサー(著)

出版社: 日経BP社 (2008/3/13) ISBN-10: 4822246523

まえがき

第1章 気がつけばいつもそこに
第2章 大学と戦争
第3章 ダグラス、ボーイング、そしてストラトクルーザー
第4章 ジェット機時代
第5章 747のリーダーに
第6章 巨人、その姿を現す
第7章 首も覚悟で
第8章 主翼と重量に一大事
第9章 747、ついにお披露目
第10章 空へ
第11章 世界を塗り替える
第12章 新たなる任務
第13章 チャレンジャー号の悲劇
第14章 顧問としての第二の人生

◆SST計画の陰で

『 私は興奮のあまり、小屋のなかを放心したようにうろうろし、意味もなくそこかしこ
を小突きまわっていた。頭のなかは、前途に待ち構える仕事のことでいっぱいだった。
ナンシーがシアトルから帰ると、電話で聞いた話の一部始終を伝えた。その後の二、三日は
小屋でゆっくりしようと思っても、新しい仕事のことがどうしても頭を離れなかった。
とうとう(隣人はさぞやホッとしたことだろう。あれ以来、ボーイング社からひっきりなしに
電話がかかっていたのだ)、仕方なく町に戻ることにした。
休暇を途中で切り上げた週の金曜日、私はラウジーをはじめ、この新展開で急遽駆けつけた
ボーイング社の関係者と会った。彼らはひととおり自分たちの構想を話すと、今回の大型機の
研究チームをさっそくつくるように命じた。取り急ぎ二十人ほど集めたが、八月末には100人
のメンバーを認められるまでになった。こうして、ボーイング747が産声を上げたのである。
技術開発リーダーになぜ私が抜擢されたのか。それはきっと、適任者で手が空いているのは
私ぐらいだったのだろう。メイナード・ペンネル、ビル・クック、ボブ・ウィジントンなど、
ベテラン技師の多くがアメリカの超音速旅客機(SST)の設計に駆り出されていたのだ。1965年
当時、ボーイング社の最重要プログラムだったこの国家計画では、超音速旅客機ボーイング
2707を世に送り出すために全社総出で事に当たっていた。
あのころはみな、SSTが民間航空の未来像であると、と信じて疑わなかったふしがある。』

◆本命はSST?

『 SSTの魅惑的な未来像にまんまとだまされたのは、航空機メーカーだけではなかった。現に、
私が相手にした747の顧客あるいは顧客候補の航空会社はほぼ例外なく、ボーイング2707
かコンコルドのいずれかを発注していた。
サイズや性能に違いがあるとはいえ、747とSSTはじつのところ、航空会社の注文や資金を
めぐって競合関係にあった。航空会社が収益を上がる方法はふたつあって、ひとつはペイロード
(乗客と貨物)を増やすことだが、これこそ747が取った方法にほかならない。もうひとつ
は、早く飛ぶことで一定時間内の飛行回数を増やすというやり方だ。言うまでもなく、SSTの
裏にある意図はこれにつき、その登場によって移動時間が劇的に減ることが期待された。
747はSSTが大陸間路線に就航するまでの「つなぎ」の亜音速ジェット旅客機であると、
広く思われていた。ボーイング社のマーケティング担当者の念頭にもその考えがあり、
旅客機としての747の売上は50機程度だろうと踏んだ。だがSSTが乗客を吸収したあとでも、
航空会社は大陸間を飛ぶ大型貨物ジェット機が必要なはず、その用途に転用できれば
747プログラムも採算が合う、というのが会社側の見解だった。
そこで私は、当初から747を旅客用にも貨物用にも使えるようつくることにした。この
「二本立て作戦」でいくという目標設定は、747の仕様確定に多大な影響を与え、のちの
人気と成功を呼ぶ大きな要因となっている。』

◆新しいビジネスモデル

『 問題が突然持ち上がったは、ボーイング社の上層部が「747は大きすぎて自社だけで
つくるのは無理だ」と妥当な判断を下したときだった。このため、アメリカ内外の航空宇宙
メーカーに協力を仰ぎ、さまざまな部分の詳細設計や製造について下請契約を結んだ。
ノースロップ社が胴体の大部分、グラマン社が後縁フラップ、リング・テムコ・ボード(
LTV)社が尾部の大部分をつくる、といった具合に。』

◆大型プロジェクトの盲点

『 そんな学びの場のひとつ、部下の大半が帰宅したあとのある夜のことだ。アル・ウェバーに
翌朝出勤したらすぐに見てもらいたいものがあって、彼のオフィスに行ったところ、驚いた
ことにまだ居残って仕事をしていた。主翼に取りつけ予定の着陸装置を支えるチタニウムの
部材の問題に頭を悩ませていたのだ。データを渡して帰りかけたとき、彼のさえない顔が
目にとまった。聞けば、「格闘中の設計問題は解決できる見通しだけれど、失敗作に取り組んで
いるような気がしてならない」と言う。
もう夜も遅い。ほっておいて帰ろうかとも考えたが、アルが全体像を知れば、そうふさぎ込む
こともないのではないかと思い直し、プログラム全体について話し合うことにした。現状に
対する私の考えを伝えると、彼はずいぶん気が楽になったと言った。
家に帰る車のなかでアルとのやり取りを反芻しながら、私ははたと気づいた。非常に複雑で
やっかいなプログラムに携わっている私たち全員、自分自身の問題にとらわれすぎていて、
全体像が見えていないのかもしれない。そこでさっそく、その状況を正しにかかった。以来、
747の技術チームには私並みの幅広い情報が行き渡るように腐心した。彼らの会議に顔を
出したり、現場に出向いて緊急集会を開いたりして、販売情勢から、技術的な挑戦と成功、
社内外の関連行事、将来の予想に至るまで、関係があると思われることはなんでも逐一伝えて
いった。
あの夜、アル・ウェバーと過ごした時間は、プロジェクトの士気に大いに影響した。まさし
く効果てきめんだった。アルはプロジェクトでもベテランの技師で、広く尊敬を集めていた。
そんな彼があの話し合いの夜の契機に意気込みを新たにし、その積極姿勢が周りの
プロジェクトの管理職に伝染したのだ。
みなに情報を極力伝えようとした努力が実を結び、チームの一体感と士気は高まっていった。
管理職の役割は単に指示を出すだけではない。「情報提供」も忘れてはならない。ということ
を悟った。聞く耳はもっているつもりだったが(人の話を最後までちゃんと聞くほうだと自負
している)、アルと一緒のあの夜に経験したリーダーシップの学びの場を通して、部下が
自分はどんな立場にいるのかを知りたがっていることを学んだ。これは精神面で大事なことで、
そうした情報がないと、士気の低下を招くことになる。』

★飛行機といえば、まっさきに、思い浮かぶのが、このジャンボです。
でも、ボーイング社にとって、計画当初は日陰の存在だったり、
地元シアトルでは、誰も、こんな大きな人工物が宙に浮くことを信じていなかったので、
家族が辛い思いをしたなど、
今となっては、信じられないエピソードがたくさんでてきます。

巨大プロジェクトゆえに、
困難につぐ、困難が、おそいかかっています。
こんな本を、読むと、自分の経験など、可愛いものだと思えてきます(苦笑)。

本日は、この辺で。

編集後記

ちょっと、更新に間があきました。

引っ越しをして、1ヵ月が過ぎました。

ようやく、長距離通勤にも慣れました。

実は、

私自身、昨年の4月から、とあるソフトウェア会社を、

父から引き継ぎ、代表になりました。

このたび、ひとまず社業に集中するために、

いったん、このブログ「教えて会計」をお休みすることとしました。

また、充電期間を経て、皆様のお目にかかりたいと思います。

それまで、

ひとまず、ご覧くださり、誠にありがとうございました。

お読みいただいた、皆様の応援のおかげで、ここまで歩み続けることができました。

本当に、感謝です。