『奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家・木村秋則の記録』石川 拓治 NHK「プロフェッショナ
ル仕事の流儀」制作班(著)
出版社: 幻冬舎 (2008/07) ISBN-10: 4344015444
目次
まえがき
奇跡のリンゴ
木の上に広がる青空
『 番組の冒頭は、東京白金のレストランのシーンで始まります。
半年先まで予約がいっぱいの、知る人ぞ知る隠れ家のレストラン。その看板メニューの
一つが、「木村さんのりんごのスープ」です。シェフの井口久和さんが、りんごをきざみ
ながら呟きます。
「腐らないんですよね。生産者の魂がこもっているのか・・・・」
井口さんの厨房で、二年前から保存されていた、二つに割ったりんごを目にしました。
通常、りんごは切ったまま置いておくと、すぐに茶色く変色し、やがては腐ってしまいます。
しかし、その木村さんのりんごは腐ることなく、まるで「枯れた」ように小さくしぼんで
いました。そして、赤い色をほのかに残したまま、お菓子のような甘い香りを放っていたので
す。
私たちの取材が始まったのは、2006年夏でした。
「農薬も肥料も使わず、たわわにりんごを実らせる」そんな農家がいる。最初にこの情報を
聞いたとき、私は、にわかに信じられませんでした。青森県弘前市に生まれた私にとって、
農薬散布によって真白になったりんご園は子供の頃から見慣れた光景でしたし、りんご農家
が病害虫の駆除に膨大な手間と時間をかけていることも知っていました。
しかし、その農家・木村さんの作るりんごは、農薬どころか有機肥料も一切使わず、・・』
『 貯えは底をつき、義父の郵便局からの退職金も使い果たした。木村には小学四年生の長女を
筆頭に、三人の娘がいた。妻の両親とあわせて、一家七人が貧乏のどん底にいた。
自慢のイギリス製のトラクターはもちろん、自家用車も、リンゴの輸送用に使っていた
二トントラックも売った。税金の滞納が続いて、リンゴの木に赤紙が貼られたことも一度や
二度ではなかった。そのたびに必死で金をかき集めて、競売をなんとか取り下げてもらった。
銀行に金を借り、それでも足りなくなって消費者金融にも手を出し、実家の両親だけでなく、
親戚からも借金をした。
電話はとっくの昔に通じなくなっていたし、どうしても必要な電気や水道代を払うために
金策をしなければならないほどだった。健康保険料が払えなくて、健康保険証も取り上げられて
いた。子供のPTA会費も払えなかったのだ。娘たちの服も、学用品すらまともに買ってやれなか
った。穴のあいた靴下にツギをあて、鉛筆がチビて持てなくなると、妻が二本をセロテープで
つないで使わせた。消しゴムは一つを三つに切って渡した。』
『 夫が焦っているのは、家族がいるからだ。
貧乏させて申し訳ないの一言もなかったけれど、それを誰よりも辛く思っているのは夫
だった。娘たちに新しい服はおろか、学用品も満足に買ってやれないこと、自分が娘たちに
人並みの幸せを与えられないことが、夫の不機嫌の原因だった。
その不機嫌のせいで、家庭の雰囲気は暗くなり、子供たちは委縮していた。
本当のことを言えば、子供たちは一家が貧乏していることなどそれほど苦にしていないのだ。
学校で惨めな思いをすることなどよりも、父親のどうしようもない不機嫌が彼女たちの心に
落とす影の方が、ずっと大きくて寒々としていた。お金がなくてもいい。みんなが笑って暮せ
たら、それだけで子供たちは今よりもずっと幸せに暮らせるはずだ。みんなそう思っていたが、
木村だけがそういう気持ちに気づくことができないでいた。
結局のところ、木村の家族に対する罪悪感が、逆に家族を苦しめていたのだ。
それは悲しいジレンマだけれど、誰にもどうすることも出来なかった。
ひとつだけ救いがあるとすれば、それでも家族がバラバラになっているわけではないという
ことだ。リンゴ畑で、夫が珍しく弱音を吐いたことがあった。
「もう諦めた方がいいかな」
本気でそう思っているわけではないことはわかっていた。けれど、お父さんも苦しんで
いるんだよということを教えてやりたくて、子供たちにその話をすると、長女が思いがけない
反応を見せた。
いつも大人しい彼女が、色をなして怒ったのだ。
「そんなの嫌だ。なんのために、私たちはこんなに貧乏してるの?」
父親の夢は、いつしか娘の夢になっていた。』
★無農薬のりんごを作った、おじさんのお話です。
わたしも、
ぜひ、一度、食べてみたいと思いました。
最近、
野良仕事をするようになりました。
ただただ、
雑草と闘うだけですが、
「ヒメリンゴ」でも、庭に、植えてみようかな(笑)。
本日は、この辺で。