「経済人」の終わり P・F. ドラッカー(著)

書評

『ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり (ドラッカー名著集 9) 』P・F. ドラッカー(著)
出版社: ダイヤモンド社 (2007/11/16) ISBN-10: 4478001200

目次

 第1章 反ファシズム陣営の幻想
 第2章 大衆の絶望
 第3章 魔物たちの再来
 第4章 キリスト教の失敗
 第5章 全体主義の奇跡―ドイツとイタリア
 第6章 ファシズムの脱経済社会
 第7章 奇跡か蜃気楼か
 第8章 未来

◆ファシズム全体主義に特有の新しい症状は次の三つである。

 『(1)ファシズム全体主義は、積極的な信条をもたず、もっぱら他の信条を攻撃し、
     排斥し、否定する。
  (2)ファシズム全体主義は、ヨーロッパ史上初めて、すべての古い考え方を攻撃する
     だけでなく、政治と社会の基盤としての権力を否定する。すなわち、その支配下
     にある個人の福祉の向上のための手段として政治権力や社会権力を正当化する
     必要を認めない。
  (3)ファシズム全体主義への参加は、積極的な信条に代わるものとしてファシズムの
     約束を信じるためではなく、まさにそれを信じないがゆえに行われる。』

◆大衆の絶望こそが鍵である

 『 旧秩序は崩壊したが新秩序は生まれていない。その結果は混沌である。絶望した大衆は
  不可能を可能とする魔術師にすがる。労働者には自由を与えつつ、産業家に工場の主導権を
  回復させ、小麦の価格を上げつつパンの値段を下げ、平和をもたらしつつ戦争に勝利し、
  一人ひとりの人間にとってすべてとなり、あらゆる人間にとってあらゆるものとなることを
  約束する魔法使いにすがる。
   したがって、大衆がファシズム全体主義に傾倒するのは、その矛盾と不可能にもかかわら
  ずではない。まさにその矛盾と不可能のゆえである。なぜならば、戻るべき過去への道は
  洪水で閉ざされ、前方には超えるすべのない絶望の壁が立ち塞がっているとき、そこから
  脱しうる方法は魔術と奇跡だけだからである。』

◆「経済人」の破綻

 『 まさに、人間を経済的動物(エコノミック・アニマル)とする概念は、完全に自由な
  経済活動を、あらゆる目的を実現するための手段として見るブルジョア資本主義社会
  およびマルクス社会主義社会の基盤である。
   経済的満足だけが社会的に重要であり、意味があるとされる。経済的地位、経済的報酬、
  経済的権利は、すべて人間が働く目的である。これらのもののために人間は戦争をし、
  死んでもよいと思う。そして、ほかのことはすべて偽善であり、衒いであり、虚構の
  ナンセンスであるとされる。
   この「経済人」の概念は、アダム・スミスとその学派により、「ホモ・エコノミカス」
  として初めて示された。「経済人」とは、常に自らの経済的利益に従って行動するだけで
  なく、常にそのための方法を知っているという概念上の人間である。
   この抽象的な存在は、たとえ教科書の中では有効であっても、現実に人間の本質を定義
  するものとしてはあまりに素朴であり劇画的である。そのためブルジョア資本主義でさえ、
  マルクスが洗練し修正した定義を使うようになっている。すなわち、自らの意志や自覚に
  関わりなく、結局は自らの「階級の利益」に従って行動する者として「経済人」を定義
  するようになっている。』

◆産業社会の脱経済化という奇跡はなるか

◆全体主義経済はデフレ政策である

★上田淳生先生のお話を聞く機会があり、
 ちょっと、興味を持ちました。

 実に、ドラッカーの処女作です。
 ファシズムを批判すると同時に、資本主義の限界を論じています。

 まあ、骨太なんで、
 一回読んで、分かったなんて、思えませんが、
 また、機会があれば、読みたいです。

本日は、この辺で。

編集後記

昨日は、

なんと、忘れ物をし、新幹線を二往復しました。

早朝の、始発に乗ったにも関わらず、

延々、400キロの旅をおえ、

会社に着いたのは、3時間以上経過した

午前10時前、って遅刻です(苦笑)。

定期券だからこそ、できる芸当です。

でも、

今度からは、持ち物に十分気をつけようと思います。